大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)9993号 判決 1989年2月21日

原告

吉田珠代

被告

美曽谷利秋

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、四一五〇万三七七〇円及びこれに対する昭和六〇年二月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

次のとおり交通事故(以下、「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 昭和六〇年二月一五日午前八時四五分頃

(二) 場所 茨木市穂積二丁目近キ上り一・一kp付近(近畿自動車道天理吹田線)

(三) 加害車両 被告運転の普通乗用自動車(登録番号、大阪五八ゆ五〇一八号)

(四) 態様 被告運転の加害車両が吉田伊蔵運転・原告同乗の普通乗用自動車(登録番号、大阪五九さ九六〇号)に追突した。

(五) 受傷 原告は、右事故によつて頚部挫傷・右肩関節周囲炎・腰部挫傷・右上肢血行不全・視力障害等の傷害を負つた。

2  責任原因

被告は、本件事故当時加害車両を保有してこれを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により原告の被つた後記3の損害を賠償する責任がある。

(一) 治療経過

原告は、本件事故による前記傷害のため、次のとおり通院治療を予儀なくされた。

(1) 大東市立市民病院

昭和六〇年三月一日から同年五月三一日まで(実通院日数一六日)

(2) 水野整骨院

昭和六〇年六月七日から昭和六一年七月一〇日まで(実通院日数一二三日)

(3) 桜橋渡辺病院

昭和六〇年七月一二日から昭和六一年一月一七日まで(実通院日数八三日)

(4) 藤縄医院

昭和六一年一月二〇日からら同年七月一五日まで(実通院日数六五日)

(5) 関西医科大学付属香里病院

昭和六一年四月一四日から同年一〇月一六日まで(実通院日数五日)

(6) 荒川眼科

昭和六一年七月一五日(実通院日数一日)

なお、原告は右の外、昭和六〇年二月から三月頃にかけて大阪第二警察病院へも検査のため通院している。

(二) 後遺障害

原告が本件事故によつて受けた前記傷害は、右治療にもかかわらず、結局次のとおりの後遺障害を残したまま、昭和六一年七月一五日頃その症状が固定した。

自覚症状 右手が握れない、右手掌に熱があつて温かい、右肩から右手にかけてのしびれ感、右下肢のしびれ感、右肩関節痛、右肘関節痛等

他覚症状 右大及び小後頭神経の疼痛、頚椎の運動制限、棘上筋・棘間筋・胸鎖乳突筋・僧幅筋の圧痛、右肩関節の運動制限及び疼痛、上腕二頭筋腱溝、三角筋下包肩峰下包の疼痛、両肘関節の関節裂隙の圧痛及び疼痛、右手関節の疼痛、右Ⅲ指の屈筋腱の圧痛、視力低下(右〇・六、左〇・八)

原告の右後遺障害は、自賠法施行令別表後遺障害別等級表(以下、「等級表」という。)の九級(視力低下につき)と七級(その他の症状につき)に該当し、全体として併合六級に該当する。

(三) 治療費 五七万三一六〇円

原告の前記通院による治療費のうち被告(自動車保険)から填補されていない治療費の合計額は、五七万三一六〇円である。

(四) 通院交通費 四一万二六三〇円

原告は前記通院のため、交通費として合計四一万二六三〇円を支出した。

(五) 休業損害 五〇六万〇三八〇円

原告は昭和七年六月一七日生まれの健康な女子であり、本件事故当時夫とともに理髪店を営み、理容師として稼働していたが、右事故による傷害の治療のため、本件事故の日から症状固定日である昭和六一年七月一五日まで一年五カ月間(五一六日間)にわたつて休業を余儀なくされ、そのため売上が大幅に減少した。ところで、原告らの事故前一年間(昭和五九年二月一五日から昭和六〇年二月一四日まで)の売上額は一〇八七万六八〇〇円であつたから、本件事故がなければ、事故日から症状固定日までの一年五カ月間(五一六日間)に、少なくとも一五三七万五四四四円程度の売上があつたはずであるところ、原告の右休業のため、右期間の売上額は九七五万二八〇〇円に減少した。そうすると、原告は、右期間の売上減少額五六二万二六四四円から経費としてその一割を控除した残額五〇六万〇三八〇円の得べかりし利益を喪失したことになるから、右同額が原告の休業損害となる。

(計算式)

10,876,800÷365×516=15,375,444

15,375,444-9,752,800=5,622,644

5,622,644×0.9=5,060,380

なお、原告らは昭和六〇年八月から昭和六一年一月にかけて職人一人を臨時雇用したが、右職人に支払つた給与(以下、「職人手当」という。)は被告(自動車保険)によつて既に填補されている。

(六) 逸失利益 二四〇五万五三六〇円

原告は、前記後遺障害のため軽易な労働しかできなくなり、少なくともその労働能力の六七パーセントを就労可能な六七歳までの一三年間に亙つて喪失したものというべきである。ところで原告は、前記のとおり、夫とともに理髪店を営んでいたものであるが、本件事故の日から昭和六〇年七月末日までは夫のみが稼働したため、その売上額が減少した(右期間の売上額は三二〇万七四〇〇円であり、前年同期間の売上額は五〇六万五九〇〇円である。)。右の減少は、原告による売上がなかつたことによるものであるから、右金額を基礎にして原告の一年間の売上額を算出すると、四〇六万一九九〇円となるから、経費としてその一割を控除して原告の一年間の純利益(年間収入)を算出すると、三六五万五七九一円となる。そこで、右一三年間に喪失することになる総収入額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右期間の逸失利益の症状固定時における現価を算出すると、二四〇五万五三六〇円となる。

(計算式)

5,065,900-3,207,400=1,858,500

1,858,500÷167×365=4,061,990

4,061,990×0.9=3,655,791

3,655,791×0.67×9.821=24,055,360

(七) 慰藉料 一〇七〇万円

原告が本件事故により長期間にわたる入・通院を余儀なくされたうえ、後遺障害を残したことは前記のとおりであつて、それによつて受けた肉体的・精神的苦痛は甚大であり、これを慰藉するに足りる慰藉料の額としては、一〇七〇万円(通院慰藉料一五〇区万円と後遺障害慰藉料九二〇万円の合計額)が相当である。

(八) 弁護士費用 二〇〇万円

原告は本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として二〇〇万円を支払うことを約した。

4 損害の填補

本件事故による損害については、被告(自動車保険)から治療費の一部及び職人手当のほか一二九万七七六〇円の支払がなされている。

よつて、原告は被告に対し、自賠法三条に基づき、右3の(三)ないし(八)の合計四二八〇万一五三〇円から、4の一二九万七七六〇円を控除した残額四一五〇万三七七〇円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年二月一五日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、(一)ないし(四)は認める。(五)のうち、頚椎捻挫は認めるが、その余は知らない。

2  同2の事実は認める。

3  同3(一)の事実のうち、大東市立市民病院(但し、実通院日数は一六日である。)、水野整骨院(但し、昭和六一年二月一日までの分。)、桜橋渡辺病院への各通院状況は認めるが、その余は知らない。本件事故状況、運転者である吉田伊蔵の負傷が軽微であつたこと、原告の初診日は事故から半月後であること、昭和六〇年一二月頃には客の顔剃りをするなどして就労していたことなどから考えると、右以外の通院の必要があつたとは考えられない。仮に原告主張の前期間の通院が必要であつたとすれば、それは原告自身の心因的要因(賠償性神経症)に基づくところが大であり、本件事故が原告の症状に寄与した割合は軽微といわざるを得ない。(二)は知らない。原告に後遺障害が残つたとしても、せいぜい等級表の一四級一〇号に該当する程度のものであり、調査事務所においてもその旨認定されている。(三)及び(四)は知らない。(五)のうち、売上の減少があつたか否かは知らないが、その余は否認する。原告らは昭和六〇年八月から職人一人を雇用しており、理髪店の経営には何らの支障もなかつたから、売上の減少があつたとしても本件事故との間には因果関係がない。(六)のうち、原告の年収は知らないが、その余は否認する。(七)は知らないが、不当に高額である。(八)も知らない。

三  抗弁

1  仮に原告に発生した損害が前記の心因的要因によつて過大なものになつたとすれば、それは原告自身の責に帰すべきことであるから、損害額の算定に当たり、民法七二二条を類推適用して、既払額を含む総損害から大幅な減額がなされるべきである。

2  損害の填補

原告が自認する既払治療費の額は一三五万一七〇〇円であり、職人手当の額は二五五万六九八〇円である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2  同2のうち、職人手当の額は認める。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件事故の発生

請求原因1の事実のうち本件事故の発生及び態様については当事者間に争いがなく、右事故によつて原告が頚椎捻挫の傷害を受けたことも当事者間に争いがない(その他の受傷内容については後に判断する。)。

二  責任原因

請求原因2の事実は、当事者間に争いがない。そうすると、被告は自賠法三条により、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任があるというべきである。

三  損害

1  受傷内容及び治療経過

原告が本件事故により頚部捻挫の傷害を負つたことは前記のとおりであるところ、大東市立市民病院、水野整骨院(但し、昭和六一年二月一日までの分。)、桜橋渡辺病院へそれぞれ通院したことは当事者間に争いがない。そこで、原告のその余の通院状況及び受傷後の身体的状況について検討する。(なお、右争いのない事実も便宜記載する。)。

弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第三ないし第八号証の各一及び二、第九号証の一ないし三、第一一及び第一二号証、第一三号証の一及び二、成立に争いのない甲第一四及び第一五号証、乙第一ないし第八号証、第一一ないし第一三号証、証人藤縄研一郎の証言(以下、「藤縄証言」という。)並びに原告本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右にするに足りる証拠はない。

(一)  原告は、本件事故直後は特段の異常を感じていなかつたが、一週間程経過して吐き気や頭痛、頚部痛などを覚えるようになり、事故後半月経過した昭和六〇年三月一日大東市民病院へ赴いて診察を受けた。原告は、右諸症状のほか右上肢のしびれ感なども訴えて「頚椎捻挫」の診断を受けたが、同年五月二九日治癒と診断された。なお、同病院の診療録には傷病名として「右五〇肩」の記載も見られる。

(二)  原告は前記諸症状が続いていたため、その後も同年六月七日から昭和六一年七月一〇日まで一年余りの間水野整骨院へ通院(実通院日数一二三日)した。同病院の昭和六〇年九月三日付診断書には、傷病名として「頚部捻挫、右肘部挫傷、左右指部挫傷、右足根部捻挫」の記載がある外、原告の頚部より左右上肢にかけてしびれ感(特に右上肢全般にわたる疼痛を伴うしびれ感)があり、手指の爪に変色が認められることなとの記載がある。また、昭和六一年二月四日付診断書には、傷病名として「腰部捻挫」が加わり、前記症状の外、腰部より右下肢全般に痺れ感が出現した旨の記載があり、同年五月二四日付診断書には、右とほぼ同様の所見の外、今後治療を続けても著しい効果は期待出来ない旨の記載がある。

(三)  また水野整骨院へ通院する傍ら、昭和六〇年七月一二日から昭和六一年一月一七日までの間、桜橋渡辺病院へも通院し、同年一月二〇日から自宅に近い藤縄病院へ転院した。桜橋渡辺病院の昭和六〇年八月一五日付診断書には、傷病名として「頚部挫傷、右肩関節周囲炎」の記載がある外、原告の症状として右上肢のしびれ感や頚部から右肩にかけての牽引痛・放散痛などの記載があり、同年一〇月一四日付診断書には、右同様の傷病名の記載とともに、右前腕・手掌の熱感、手指の変色、右手指の運動遅鈍などの記載がある。藤縄病院では、「頚部挫傷、右肩関節周囲炎、腰部挫傷、右上肢血行不全」の傷病名で通院治療を受けたが、原告の症状に特段の変化が見られなくなつたため、同病院医師藤縄研一郎は、同年七月一五日原告の症状が固定した旨の診断を下した(但し、肩の治療はその後も継続された。)。

(四)  なお、原告はその間の昭和六一年二月二三日大阪第二警察病院整形外科へ保険会社の担当者とともに赴き、頚椎のレントゲン撮影、スパーリング・イートン・ジャクソンなどの神経系の検査、腱反射や知覚検査などをおこなつたが、特段の異常所見はなかつた。この外、藤縄病院医師の勧めで昭和六一年四月一四日から同年一〇月一六日までの間「外傷性頚部症候郡、腰部挫傷、右手部打撲」の傷病名のもとに関西医科大学付属香里病院に五回通院し、右同日症状固定の診断を受けたが、同病院では後遺障害の診断などのために検査を受けた程度で、特段の治療を受けなかつた。

(五)  また原告は、昭和六〇年秋頃から視力の低下を感じるようになり、昭和六一年三月大阪第二警察同病院眼科で三回にわたつて目の検査を受け、「軽度近視(右)、初期老人性白内障(両)」との診断を受け、その後同年七月一五日荒川眼科に赴き、中間透光体に軽度の水晶体混濁を認めるが前眼部・眼底には特段の異常がなく、視力は右〇・〇六(矯正〇・四)、左〇・八(矯正不能)である旨の診断を受けた。

以上認定の事実によれば、原告は本件事故後半月を経過してから通院を開始し、その後も多数の病院に同時または異時に通院して治療を受けたものであり、その愁訴は多岐にわたり、治療期間も事故当時の受傷の内容・程度に照らして通常必要と認められるものより相当長期化していることを否定することができず、これらの事実のみからみても、原告の右通院治療のすべてが本件事故による傷害のためのものであつたと認められるかにつきかなりの疑問がないわけではない。

そこで、原告の主張する受傷内容について更に検討するに、鑑定人田島達也の鑑定結果(以下、「田島鑑定」という。)によれば、右肩関節周囲炎については、五〇歳台の女性に多く見られる一過性の肩関節疼痛及び運動制限を来す疾患であり、本件事故との間に因果関係が存しない旨、また、右上肢血行不全については、爪部の変色には特別の病的意義がなく血行障害の微候とはいえないばかりか、鑑定時におけるサーモグラフイー検査の結果、右手皮膚温は左側に比べ摂氏三三度前後の相対的高温域がむしろやや拡大している(なお、本件事故と右皮膚温の上昇自体との因果関係は別論である。)ことから右傷病名は不適当である旨指摘されていることにも照らすと、原告の主張する受傷内容のうち、右肩関節周囲炎及び右上肢血行不全については本件事故による受傷とは認められず、また視力障害についても、この点に関する前記認定の事実に照らして本件事故との間に因果関係を認めることができないというべきであつて、他にこれを認めるに足りる証拠は存しないのである。

しかしながら、前記認定のとおり、原告の愁訴は極めて多彩かつ不安定であるところ、田島鑑定によれば、これらは本件事故による受傷を契機として外傷性神経症が発生したものと認められるのであつて、これらの事実に照らすと、原告の心因的要因が原告の多彩な愁訴を呼び起こし、その治療を長期化せしめる大きな原因となつたものと推認することができ、この推認を覆すに足りる証拠は見当たらない。

以上の点からすれば、前記各通院治療のうち、右肩関節周囲炎など本件事故による受傷とは認められない症状の治療が含まれていることは否定しがたいが、その他の治療については、原告の心因的要因が症状の悪化・治療の長期化に寄与しているとはいえ、その通院治療自体は本件事故による受傷・症状の治療のためであつたものと認めるのが相当である。そして、前記治療経過に加えて本件証拠上認められる治療内容等に照らすと、本件事故との間に因果関係を認め得る症状もしくは通院治療の割合は、少なくとも全体の七割を下らないものと認めるのが相当である(なお、症状固定の時期については後記認定のとおりである。)。

2  症状固定の時期及び後遺障害の内容・程度

原告が藤縄病院医師から、昭和六一年七月一五日症状が固定した旨の診断を受けたことは前記のとおりであるところ、前記治療経過に本件事故の態様、受傷の部位・程度などに照らすと、原告の症状は、遅くとも右同日項に固定し、治療を継続してももはや治療効果を期待しえない状態となつたものと認定するのが相当である。

そこで同原告の後遺障害の有無及び内容・程度について検討する。

(他覚症状について)

前掲乙第一二及び第一三号証によれば、原告の症状固定時においてその主張どおりの他覚的知見が存したことが認められるが、田島鑑定によれば、右諸症状のうち、上腕二頭筋腱溝、三角筋下包肩峰下包(肩関節部位)の圧痛は、肩関節周囲炎に伴う症状であり、右肩関節の外旋運動が軽度に制限されているが、「五〇肩」に一致する症状であることが認められるところ、右症状と本件事故との間に因果関係が認められないことは前記のとおりであり、また、前掲乙第一二及び第一三号証によれば、頚権の運動制限(自動)については、昭和六一年一〇月一六日に関西医科大学付属香里病院及び藤縄病院でそれぞれなされた検査結果自体、前後屈・左右屈・左右回旋とも大幅な食い違いが見られ、その程度は必ずしも明らかでないばかりか、藤縄証言及び田島鑑定によれば、右証言時点(昭和六二年六月二三日)において残存している症状は、右肩関節周囲及び右Ⅲ指の疼痛程度であること、鑑定のための診察時点においても、頚椎の運動制限は存しなかつたことが認められるから、右運動制限については、後遺障害として残存した症状とまでは認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

もつとも、同鑑定によれば、鑑定時にも右手指関節の自動可動域制限、右手握力の著明な低下、右手掌の熱感、右大及び小後頭神経の圧痛などが存したことが認められるが、他方、右手指関節の自動可動域制限及び右手握力の著明な低下については、他動的に右手を強く握る屈曲肢位にもたらすその肢位を自動的に保持することができ、客観的な可動域制限や著明な握力低下が存在するとまでは考えられず、多分に心因反応が加わつていると考えられること(なお、前掲乙第一三号証によれば、右手五指のいずれの関節もほぼ同程度の可動域制限が認められるが、自動と比較して他動にはほとんど左右差がないことが認められる。)、母指と示指の指腹部を合わせて両指で強力な丸印を作ることができるか否かの検査(指の繊細な筋力の不均衡の存在を発見するのに優れた方法である。)の結果、指の筋力不均衡も認められなかつたこと、右大及び小後頭神経の圧痛については、主観的な訴えである公算が大きく、客観的にその存在を判断することは困難であることなどが認められ、これらの事実に、前期のとおり原告に外傷性神経症が発現したことを考慮すると、右他覚症状については、純粋に他覚的所見といえるものが少ないとはいえ、本件事故との間に因果関係を認めるのが相当であり、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(自覚症状について)

前掲乙第一二、第一三号証、田島鑑定及び原告本人尋問の結果によれば、原告が症状固定時においてその主張どおりの自覚症状を訴えていたこと、これらの症状(但し、関節痛を除く。)が右尋問当時においても残存していたこと、鑑定のための診察時においては、右上肢のしびれ感、右上肢諸関節の疼痛の存在は否定されたが、右手が握れないこと、右手掌の熱感、右上肢の脱力感などの愁訴が存したことが認められ、これらの自覚症状は、右他覚症状や前記外傷性神経症に照らしてこれを肯認することができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の事実によれば、原告に残存した後遺障害(神経症状)については、これらを併せて等級表の第一二級一二号「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当するものと認定するのが相当である。

3  治療費

原告の前記通院による治療費のうち、被告の主張する既払額一三五万一七〇〇円(大東市立市民病院、昭和六一年二月一日までの水野整骨院、桜橋渡辺病院各通院分)については、原告において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。また、前掲甲第一三号証の二、乙第三ないし第五号証、、第一一号証によれば、その余の治療費の合計額は、五六万六五二〇円であることが認められる。そうすると、本件事故による受傷にかかる治療費の額はその七割に当たる一三四万二七五四円となる。

(計算式)

(1,351,700+566,520)×0.7=1,342,754

4  通院交通費

通院交通費については、これを認めるに足りる証拠はない。

5  休業損害(臨時職人手当を含む。)

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は昭和七年六月一七日生まれの健康な女子で、本件事故当時夫の経営する理髪店において理容師として稼働し、その収益により生計を維持する傍ら、主婦として家事労働にも従事していたことが認められる。ところで原告は、原告の休業による右理髪店の売上減少分から経費として一割を控除した残額を休業損害として求め、その立証のため昭和五九年一月から同六一年八月までの売上額を記載した書証(乙第九及び第一〇号証)を提出し、その本人尋問において、右書証は原告において毎日記帳したもので、税金の申告もこれに基づいてなした旨供述するのであるが、確定申告書等の提出もなく、右書証の裏付けとなるような伝票等の証拠も全く存しないから、売上額の証明は不十分といわざるを得ず、これを前提とする原告の主張は採用できない。

しかしながら、右認定の原告の稼働状況に照らせば、原告は本件事故当時昭和六〇年賃金センサス第一巻一表産業計・企業規模計・学歴計の五〇歳から五四歳までの女子労働者の平均年収額二四四万九八〇〇円に相当する程度の収入を得ていたであろうことが推認できる。

もっとも、原告本人尋問の結果によれば、原告らは本件事故後である昭和六〇年八月から昭和六一年一月までの間は原告に替わる職人一名を臨時雇用して理髪店を営業していたこと、原告自身も昭和六〇年の末頃から時折客の髭剃り程度はしていたことが認められ、右事実に原告の業務内容(家事労働を含む。)、前認定にかかる通院状況、その間の症状等を総合勘案すると、昭和六〇年二月一五日から同年七月末日までの一六七日間は平均九〇パーセント、同年八月一日から昭和六一年一月末日までの一八三日間は平均二〇パーセント(この間、前記のとおり臨時職人を雇用しており、右職人手当の支出以外に理容師として稼働できなかつたことによる休業損害は認められないが、家事労働の制約について考慮した。なお、右職人手当の支出額が二五五万六九八〇円であることは当事者間に争いがない。)、同年二月一日から同年七月一五日までの一六五日間は平均五〇パーセントの減収を余儀なくされたと認めるのが相当であるところ、原告の労働の制約については、「五〇肩」など本件事故と因果関係の認められない症状に起因する部分があり、本件事故と因果関係を認め得る症状が全体の七割程度と解すべきことは前記のとおりであるから、原告の本件事故による休業損害(職人手当を含む。)は合計三〇五万五五九二円(円以下切り捨て)となる。

(計算式)

2,449,800÷365×167×0.9=1,008,780

2,449,800÷365×183×0.2=245,651

2,449,800÷365×165×0.5=553,721

(1,008,780+245,651+553,721+2,556,980)×0.7=3,055,592

6  逸失利益

前認定の本件事故と因果関係を有する後遺障害の内容・程度によると、原告は、右後遺障害によりその労働能力の一四パーセントを喪失したものであり、その喪失期間は四年間と推認するのが相当であるところ、本件事故に遭わなければ引き続き昭和六一年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の五〇歳から五四歳までの女子労働者の平均年収額二五一万六二〇〇円に相当する程度の収入を得ることができたはずであるから、その間の収入総額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、その逸失利益の症状固定時における現価を算出すると、一二五万五五八八円(円以下切り捨て)となる。

(計算式)

2,516,200×0.14×3.5643=1,255,588

7  慰謝料

本件事故の態様、原告の傷害の部位・程度、治療経過、後遺障害の内容・程度その他証拠上認められる諸般の事情を斟酌すれば、原告が本件事故によつて受けた精神的・肉体的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は二五〇万円とするのが相当である。

三  心因的要因の寄与

前記認定の本件事故と因果関係のある諸症状が発症するについて、原告の心因的要因が多分に寄与していることは前記のとおりであるところ、このために生じた損害の拡大部分については、損害の公平な負担を旨とする民法七二二条(過失相殺)の規定を類推適用してこれを斟酌すべきである。そうすると、被告が賠償すべき損害の額としては、右三の3、5ないし7の合計額から四割を減じるのが相当であるから、原告が被告に請求し得る損害額は四八九万二三六〇円となる。

(計算式)

(1,342,754+3,055,592+1,255,588+2,500,000)×0.6=4,892,360

四  損害の填補

被告(自動車保険)から原告に対し、治療費として一三五万一七〇〇円、職人手当として二五五万六九八〇円の各支払いがなされたことは前記のとおりであり、この外にも一二九万七七六〇円の支払いがなされていることは原告の自認するところである。そうすると、原告の被つた損害については、既に填補されているというべきである。

五  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田邉直樹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例